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「海原の用心棒」 [読書]

『SFマガジン700 国内編』に収録されている秋山瑞人の海洋SF短編小説。
以前「SFマガジン」に掲載されていた空海陸三部作の二作目。

序文の語り手である潜水艦は乗務員全員が死んだ後、
省エネのために人間らしい思考を凍結してしまい、本文の語り手は老いた鯨に交代する。
老いた鯨が幼い鯨の「歌い手」にせがまれて、歌って聴かせるのは昔の戦い。

かつて鯨の群れの一員だった若い鯨「疾眼(スピードアイ)」は、
群れの危機を守ってくれた鉄鯨と共同戦線を張って敵と戦おうとする。
けれど、いつまで経っても鉄鯨からの明確な意思表示はなく、
群れの仲間は不審を募らせる。あるいは鉄鯨を囮にして助かろうとする。
しかし、この若い鯨は魅入られたように鉄鯨の側を離れない。
意思疎通のないコミュニケーション。
鉄鯨=潜水艦に「血嵐(レッドレイン)」と呼び掛け続ける疾眼(スピードアイ)が、
まるで人形やロボットに名前を付けて話し掛ける小さな人間の子どもみたいだった。

秋山さんの他の作品では、
例えば『鉄コミュニケイション』では人とロボットが明確な会話をしているし、
『猫の地球儀』で幽が直したロボットはありがとうありがとうって言ってるし、
『E.G.コンバット』のルノアは自動販売機やD+と会話しているけれど、
「海原の用心棒」の潜水艦血嵐(レッドレイン)は、疾眼(スピードアイ)と会話しない。
今回のストーリーは最初から最後まで、鯨と潜水艦のコミュニケーションの成立を保障しない。

疾風(スピードアイ)が鉄鯨に寄せる信頼や憧憬、友情は、一方通行な思い入れかもしれない。
仲間の鯨たちが不安に思うように、本当に潜水艦に鯨を守る意志があるのかどうか、
それどころか疾眼(スピードアイ)の存在を認識しているかどうかさえ保障されない。

それでも、もし鉄鯨、血嵐(レッドレイン)が冒頭の潜水艦であるならば、
人間らしい思考回路を封じただけで生来の機械としての意識はあるわけで、
潜水艦なりの方法で意志疎通を図ろうとしていた可能性はある。

ちなみに老いた鯨(かつての疾眼スピードアイ)と幼い鯨のやりとりが可愛くてね。
幼い鯨には一つの台詞もないのに、最後のシーンではぎゅっと両手を握りこぶしにして
大きな声で半泣きになりながらおじいちゃんにお別れの挨拶をする
小さな女の子の姿が浮かぶようだった。

鯨の伊達男(ダッパダン)が発する圧縮言語の表現も迫力だった。
なるほど、圧縮言語を目で見るとこんな感じなのか。
もはや絵になっていて、漢字って面白い。
最初と最後に同じ言葉が出てくるのがそういう文法っぽくって面白い。

空海陸三部作の一作目「おれはミサイル」は、
2010年に出版された『ゼロ年代SF傑作選』に収録されています。
三作目の陸編が発表される日も待ってます。
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